ウェブディレクターという仕事上、UX(ユーザーエクスペリエンス)という概念と向き合う機会が多い。
そしてその中で使われる「エスノグラフィ」というとっつきにくい用語が突然、ネットラジオから耳に飛び込んできた。
私の好きなラジオ番組「東京ポッド許可局」内で、サンキュータツオ氏が『競艇場のエスノグラフィ―』という論文を紹介していたのだ。
今日ご紹介した論文:寄藤晶子(2007)「曖昧さが残る場所 ー競艇場のエスノグラフィーー」『現代風俗学研究13』 #daycatch #39tatsuo
— サンキュータツオ10/13-17シブラク (@39tatsuo) 2013年8月1日
注文して読んでみると、期待した以上の面白さ。
論文なので「書評」とするのは不適切かもしれないが、良質な旅行記やルポに似た読後感があった。
↑渋い装丁もナイス
「エスノグラフィ」によるワクワク感
まず、この「エスノグラフィ(エスノグラフィー)」という用語について確認したい。
京都大学フィールド情報学研究会の定義をあたってみよう。
エスノグラフィ(Ethnography)は,フィールドで生起する現象を記述しモデル化する手法である. 文化人類学における未開の民族の調査に起源をもち,その後,社会学で逸脱集団や閉鎖集団の生活様式を明らかにする方法として用いられるようになった.
エスノグラフィ – フィールド情報学 – 京都大学
本作で調査対象となるのはもちろん未開の民族ではなく、愛知県・常滑競艇場の来場者。
競艇場の来場者、と言われると――。
率直に言って私なら、無彩色の服をまとい、少なめの所持金をポケットにむき出しで入れた覇気のないおっちゃんたちの姿が浮かんでしまう。
これはたんなる想像ではなく、ちょっと人生で行き詰まった時期に私自身が埼玉の戸田競艇に足を運んでおり、年齢こそ若かったが所持金も覇気もそんな感じだったのだ。
著者・寄藤晶子氏は、競艇場内の飲食売店でアルバイトをしながら調査を進めたらしい。
そんな「おっちゃんたち」の巣窟に入り込んだ「ねーちゃん」という異物だったはずで、潜入捜査モノの映画を観るようなワクワク感があった。
ふだん我々が接する、オンラインでアンケートデータを回収していくような手法とは対極。
異質な存在が対象と行動を共にしながら観察を続ける泥臭さに、心が躍る。
主観に左右される調査手法だと思うのだが、むしろそれが本作の魅力に繋がっていると思う。
主張するピンクの座布団
来場者は性別や年齢の他に
・居場所を定めて行動する「基点設置型」
・状況に応じて移動する「場内巡行型」
という2つに分類できると著者は説く。
高齢男性に多いらしい基点設置型。
彼らが場所取りに使う座布団の描写が味わい深い。
この座布団は、小学校などで座席に取り付ける防災頭巾に似て
<中略>
もともと柔らかくピンク色だったと思われる座布団が使い込まれているうちに灰色がかった煎餅座布団となり、それが座席の「主」の存在を強烈に主張する。
行間から座布団のニオイやホコリが立ち込めてきそうではないか。
もちろん、座布団の主が具体的にどんな人格でどんな人生を歩んでいるかは分からない。
しかし、このピンクの座布団の有りようと描写の巧みさから、読み手は著者と一緒にその場で観察しているような気分にすらなる。
そして、この主の佇まいをありありと想像することが出来る。
さらに著者によると、
競艇場の男たちは草の香りが漂う草食動物の印象がある。
<中略>
「呑む・打つ・買う」は三位一体のようなイメージがあるが、「買う」だけは別の次元のような話なのではないだろうかと感じる。
のだそうだ。
実際には著者が手を握られたりホテルに誘わるようなこともあったそうだが、それは稀らしい。
つまり、ギャンブルをしている=血の気の多いアッパーオヤジ、という図式はここになくやはり枯れたオヤジが多いということになる。
じつは気になって常滑競艇場に問い合わせてみたのだが、場内はアルコール類の販売も持ち込みも一切禁止とのことだった。
それもこの治安に貢献しているかもしれない。
なお、女性の基点設置型はパウダールームを軸に行動するらしいのだが、枯れた男性陣と対照的なその様子はぜひ本文で味わっていただきたい。
「意識低い系」によるダイバーシティ
著者のバイト先となった競艇場内飲食店で交わされるママ(店長)と客のやり取りや、客同士の距離感。
定番メニュー「豚汁ライス」に象徴される、早くて安くて持ち運びやすい商品群。
それらを介して著者は、来場者が必ずしも孤独ではなく、競艇場が居場所となっていることを紐解いていく。
タイトルにあるように、様々な来場者の差異が許容され、曖昧さが残る場所。
時に意識の高い人によって声高に叫ばれる(けどなかなか実現できない)ダイバーシティ/多様性が、ここでは「意識低い系」ともいえる草食な人々によって自然と実現されていたわけだ。
(これは100%ほめ言葉だが、意識が低いどころか、その手の意識自体が「ない」人々と言っていいかも知れない)
そのことがなんとも和むというか、小気味よい読後感に繋がったのだと思う。
<2017年11月6日 追記>
下記の「もっとヘンな論文」という書籍で、サンキュータツオ氏によるこの論文の解説があり。
書評の公開後に教えていただいたのだが、先に読んでいたら書評が書けなかったかも。
本作の魅力を全て伝えきっている。必見の面白さ。